自身のない人必見! 絶対の自信をつける方法とは!
あなたにとっての自信とは、なんですか。
こんにちは、拗らせ高専生です。
今回は、「あなたにとっての自信とは、なんですか」ということで少し話していきたいと思います。
私たちが社会的に生活していく上で必要となってくるのが、「存在意義」だとか「アイデンティティ」だとか、おおかた「自信」と言い換えても過言ではないと思います。
つまり、自信とは「自分だけのものであればあるほど」強くなっていくわけです。
何個か自信となるものを、挙げてみてください。
……浮かびましたでしょうか?
器量がある、筋肉がある、妖艶な肉体がある、日本人だけどネイティブ並みの英語能力がある、金がある、名誉がある……あげればいくらでも出てくるでしょうか。
因みに私の自信となるものは「長身(185 cm)」と「寛大な心」とでも言っておきましょうか。それ以外は、大したことはないです。別に器量が良いわけでも、特別頭がいいわけでも、コミュニケーション能力に長けているわけでも、燃え上がるような熱意もありません。色白……色白な男というのは、良いのでしょうか……はは。
さて、今日、黒人差別などがまた色々騒がせているわけですが、それに応じて「美白化粧品」だとかの販売を止めた会社がありましたね。
つまりあれは「肌の白い方がより美しい」という普遍原理のようなものに対して、元来肌の黒々とした人間を、根底から否定しているようだ、という考えの餌食になったわけでございます……。
確かに、私も自分の白い肌が好きなので、日焼けはしたくないですし、小説とかを書いたり読んだりしていても、やはり美しい娘というのはきまって「肌の白い娘」のような気がしますね。日本人も「イエローベース」と馬鹿にされるようなこともありますし、きっと皆はどこかで白いのを憧れている……。
また、身長の低い人からしてみれば、私のことがたいそう妬ましいと思うことでしょう(私は幼年期に酷く太っていたので、そのおかげでこの高身長があると思っています)。
それらの改善策として、化粧品、シークレットブーツなどがあげられるわけです。
だが、私はここにひとつ問いたい。
「そのような『加工や底上げ』になんの意味があるというのか」
私は化粧品に聡くないから、大口は叩けないのだが、どだい、それをして肌は白くなるのか? 身長は伸びるのか?
化粧を落としたら、ブーツを脱いだら、その自信とは全くずたずたになってしまうのではないか? 果たして、それを自信と言えるのであろうか?
美や名声とは、確かにモテるし、選り取り見取りとなるだろうが、それは果たして正しいことなのだろうか。
現在はミニマリストぽくなってしまった私が、過去の女子に好かれようとして切磋琢磨、自分の望んだ方向とは違う方向に努力を重ねて得たのは、確かに美人の娘だったりしたのかもしれない。だが、その仮初に「本質」などなかった。
ミニマリストとは、なにも物欲がないだとか、つまらない人生を送っているようだと思われがちであるが、それは違う。
「本質」だけを得たいのである。
現在の自分のことが本当に好きだと、もしも私のような人間が居たとして、好きになることができるかを第一に考え、それについてきてくれる人間とだけ付き合えばよいのである。
自分が本当にイエローベースが嫌ならば別だが、身長が低いのが嫌なら別だが、それでも、そんな自分のことを好きになれば、きっとその本質を好いてくれる人がひとりはどこかに居るはずだ。
だが、怠慢は許されない。それは必要最低限改善できることをやった者にしか得られない幸せだからである。
「割り込み」高専のヒロイン
あなたは、高専のヒロインを知っているだろうか。
先に断っておくが、私は別に、オタサーの姫のことを述べているわけではない。
あの、高専のヒロインである。
ある日を境に、毎日メールを送ってくれる、健気さ。
また、明確な寿命を持った、儚い存在。
そう、
「高専共通パスワードである」
……え? 知らない?
ならば、教えてやるというのが、人情であろう。
高専共通パスワードとは、高専機構の、各学生の所有するパスワードである。
私は、これに、いいや彼女に、恋をしたのである。
確かに彼女の、美しい亜麻色の髪が頭を擡げたのであった。
出会いは、高専の裏山の四阿(あずまや)であった。
通り雨を四阿でやり過ごしているうちに、私は疲れからかその場で寝落ちてしまう。
そこで、彼女に出会った。
彼女は夕焼けの中に煌めいていた。
そんな彼女との思い出を、一つの小説として綴ったので、是非とも興味があれば読んで欲しい。
『形而上の愛』
私は彼女をいつまでも愛している。
そして、あるパスワード更新日を境に、今までは必要でなかった「@、!」などの記号を含める必要が出てきたことには、大変遺憾の意を表したい。
高専という場所
私の出身中学校では、私以来十年と高専へ進学した者が居なかったという。
それ故に、高専の入試対策というものや、高専に関しての情報は殆どなく、「まあ、公立高校の入試と被らないから受けるだけ、受けてみよっ!」というノリで受験して、なんとか受かったわけである。
その魅力とはどこにあったか。
私は「化学科」に進んだので、確か白衣が猛烈に羽織りたいお年頃だったとか、中学時代は学ランだったので私服登校というというものに憧れがあっただとか、大の苦手の文系科目を勉強しなくてもよいだとか、就職率が非常に高いなどと、そんなものだったと思う。あと、センター試験の荒波に飛び込む必要がないだとか……。
入試当日は緊張しすぎて、作文でしたがき用紙に清書書きしたのを鮮明に覚えている。「……そっか、最近の作文はマス目がないんだなあ……」とか本気で思って、マス目のある方を下書きとして使ってしまいました。いや、ほんと良く合格したなあと……。
私は偏屈なので、授業中の態度が本当に悪い。中学時代にはそのせいで関心意欲態度に最低評価がついたのは、いい思い出である。その点、高専は実力主義というか、テストでちゃんと良い点だけを取って入れば良いので楽であった。
そして、入って一か月で私服登校が面倒になった。元来私は服装に頓着がなかったので、「ワイシャツ、チノパン、ベスト、革靴」という「え? 先生のコスプレ?」などと揶揄されるぐらいにはフォーマルっぽい服を着まわしている。まあ、屁理屈を言わせてもらえば、周りにはおしゃれな人や、ポップな人や、地味な服装の人が居る中で、こう自分だけきちっとしているのは、冬場にホットパンツを穿く女子ぐらいインパクトがあると自負している。
そしてやはり専門の授業というのが、頗る面白い。私は二年の時に「分析化学」という運命の科目に出会った。もう、本当に楽しくて、これをやっているときはいつでもにこにこしていた覚えがある。普通高の学生はこいつに出会えないんだろうなあと思うとそれだけで嬉しくなった。
また、高校生で遊んでんなアという人は、よく「大学生の人とこれからデート」だとか言うのかもしれないが、高専では、要は四五年生というのが、大学一二年に当たるわけで、放課後よろしくやっている人も多い。
私は上の学年とも下の学年とも関りが薄いので、どこか僻みながらも、まあ、同級生と遊んでいるので十二分に楽しいよね、と割り切っている。
今回はここまで。
次回は、『寮という存在について』だ。
ありがとうございます。
拗らせ高専生の備忘録
このブログでは、私のちょっとした思い付きを、短編小説風に膨らませる場所として用いていきたいと思っております。
次回>>『高専という場所』